クラウド時代と性善説の課題
通信インフラの発展に伴い、情報に関わるサービスの形態が変わってきた。
例えばコンテンツサービス。かつては、コンテンツは「数」で換算する物だった。
音楽はかつてはCDなどの物理媒体だったが、iTunes Storeや着うた以降音楽配信が普及するが、それは「1曲いくら」「1アルバムいくら」といった形で個々に購入する形態だったが、ご存知のように昨今では定額聴き放題が普及しつつある。
映像コンテンツも最近では定額サービスが出始めている
コンテンツの消費単位が「コンテンツの数」ではなく「契約期間」と言う時間に変換され、全く異なる次元となった。
同様に、個人向けのストレージサービスもかつて無い規模で拡大しつつあるけど、問題が起きている。
Microsoftが提供するクラウドストレージサービスのOneDriveで Office365ユーザー向けに提供してきた容量無制限のサービスを終了、なおかつ無料でのサービスも15GBから5GBに縮小することになったニュース。
このコラムによれば、ごく一部のユーザーが大量(75TB)もの領域を使った事の影響を重く見ているそうで。
そう言えば、過去にもUQのWiMAXが新たにWiMAX2サービスを開始するときに、それまでのWiMAXに通信量の制限が無かった(しかもそれがウリの一つだった)にもかかわらず、新規サービスで制限が付けられたことに批判があった事を思い出す。
UQに限らず、各携帯キャリアの通信サービスも一時は「使い放題」だったにも関わらず今では全てのキャリアが1ヶ月当たりの通信量による何らかの制限をかけている。
これらは殆どの場合「ごく一部のユーザーが想定を越える非常識な使い方をした」事によって、サービスの維持をするために規制をかけざるを得なかった、としている。(少なくとも公的には)
「クラウド」と言う言葉自体が誤解を招きかねないが、利用者にネットワークインフラから先のサーバやストレージ自体は隠蔽されては居るが、当然そこにあるのは「クラウド(雲)」では無くて、実際に動いているサーバやディスクが何らかの形で存在する。
当然、仮想化されモジュール化され、システマチックになってはいるので増設、変更はしやすい仕組みにはなっているものの、決して無制限ではなく、有限の資源ではある。
ただ、サービス上「無制限」としてしまうことで、契約上のサービスを最大限享受しようとする一部のユーザーが、一般ユーザーの数千倍の利用をすると言ったケースが現れるようになり、結果的に有限の資源の圧迫/又は現在は圧迫していなくても将来的なリソースの枯渇を懸念せざるを得なくなる。
結局、この辺はサービスを享受する利用者側のリテラシー、と言うかもっと言うと良心の範疇というか、こう言った汎用のクラウドサービスはあくまでもパブリックリソースの「共有」のサービスであり個人の「占有」サービスでは無いことに対する理解の不足、もしくは誤解がこの様な不幸を招いているように思う。
各クラウドサービスは、利用者が適切なサービスを受けるために適切な対価で運用できるような、損益分岐点を今見いだそうとしている過渡期なのだと思う。
あ、特にオチは無いですw